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米国音楽とプラ模型が趣味の昭和40年男

Lou Beatty, Various – Lou Beatty's Detroit Soul (Thirty Rare Gems From The Vaults Of La Beat Records)(Grapevine – GVCD 3029)

fame461

今週は、デトロイト関連のシングルをご紹介してきたので、この傑作コンピCDも。Grapevineによるデトロイト・ノーザンのコンピになります。よくぞここまで集めてくれましたという文句なしの内容ですね。Lou BeattyのLa Beat Recordsおよび関連レーベルのアーカイブから選りすぐった、珠玉の30曲。未発表音源5曲も含む本作は、ソウル・ファン必携の歴史的アルバムとなっています。選曲はDave Weldingが担当し、ライナーノーツはPaul Mooneyと共に執筆。今となっては、ここに収録されたシングルを全て入手するのは至難の技。見つかったとしても経済的破綻を免れることはできないでしょう。ゆえに、このCDの価値は高いのであります。


Country:UK

Released:2006

Tracklist

1 Edward Hamilton–I'm Gonna Love You

2 The Masqueraders–How

3 Lou Beatty–A Wet Pillow

4 Edward Hamilton & The Natural Looks–My Darling Baby

5 Don Hart & James Shorter–All The Love I Got

6 Nelson Sanders–This Love Is Here To Stay

7 The Masqueraders–I Got The Power

8 Don Hart–I'll Keep Holding On

9 James Shorter–Modern Day Woman

10 Al Williams–I Am Nothing

11 Lester Tipton–This Won't Change

12 Edward Hamilton & The Arabians–Thank You Mother

13 Clifford Binns–Take It From Me

14 Nelson Sanders–I'm Lonely

15 The LPTs– I Am Nothing (Instrumental)

16 James Shorter–Ready For The Heartbreak

17 Clifford Binns–You've Got To Help Me

18 Al Williams–Try Them

19 Don Hart & James Shorter–It's In My Mind

20 Lou Beatty–A Family

21 Nelson Sanders–Mojo Man

22 The Masqueraders–I'm Gonna Make It

23 Al Williams –She Does It

24 Don Hart–I Can Make It

25 Edward Hamilton–Call Me

26 The LPTs–Long Cool Summer

27 Nelson Sanders–Tired Of Being Your Fool

28 Al Williams –Brand New Love

29 Edward Hamilton & The Arabians–Baby Don't You Weep

30 The Masqueraders–Be Happy For Me

Phonographic Copyright ℗ – Grapevine Music Group

Copyright © – Grapevine Music Group

Manufactured By – Grapevine Music Group

Distributed By – Grapevine Music Group

Mastered At – South Union

Compiled By [Compilation], Research – Dave Welding

Coordinator [Project Co-ordination] – Garry J. Cape

Liner Notes – Dave Welding, Paul Mooney

Post Production, Mastered By [Digital Mastering] – Paul Mooney

Sleeve [Sleeve Design And Origination] – JAD Art & Design

Tracks 3, 15, 18, 20 & 23 are previously unissued


Licenced from Lou Beatty Jr

Barcode: 5 025009 302929


EDWARD HAMILTON - I'm Gonna Love You


Julio Apollo12 (Ast-USA) dj Ye-Yé '25. Gijón (Spain) 24-27 julio


Lou Beatty - A Wet Pillow


EDWARD HAMILTON & THE NATURAL LOOKS - MY DARLING BABY


DON HART & JAMES SHORTER ALL THE LOVE I GOT


Nelson Sanders - This Love Is Here To Stay


The Masqueraders - I Got The Power


I'll Keep Holding On


James Shorter - Modern Day Woman


Al Williams - I Am Nothing


Lester Tipton - This Won't Change


Edward Hamilton And The Arabians - Thank Your Mother


Take It From Me


ULTRA RARE DEEP SOUL - Nelson Sanders - I'm Lonely - 1966


I Am Nothing (Instrumental)


James Shorter - Ready For The Heartbreak


Clifford Binns - You've Got To Help Me


AL WILLIAMS~TRY THEM 2005


It's In My Mind DON HART & JAMES SHORTER La Beat Video Steven Bogarat


A Family


Nelson Sanders - Mojo Man


I'm Gonna Make It


She Does It


Don Hart & The Fyve- I Can Make It


Call Me


Long Cool Summer


NELSON SANDERS TIRED OF BEING YOUR FOOL


Al Williams - Brand New Love - La Beat : 6602 DJ (45s)


Edward Hamilton And The Arabians - Baby Don't You Weep


Be Happy For Me

LA BEAT RECORDS 物語

LA BEAT RECORDS は、デトロイト・サウンド、とりわけモータウンがアメリカ国内のみならず世界のポピュラー音楽に多大な影響を与えていた時代に誕生したレーベルである。

当時、多くのインディペンデント・レーベルがそうであったように、La Beat もまた音楽革命の小さな一翼を担っていた。しかし歴史書で語られることは少ない。

それでも熱心な愛好家やコレクターの間では、La Beat は有名レーベルに匹敵する敬意をもって語られている。本アルバムが、彼らの功績を正当に評価する一助となることを願ってやまない。

ルー・ビーティの生い立ち

創設者ルー・ロイ・ビーティは、1918年8月22日、サウスカロライナ州ユニオンに6人きょうだいのひとりとして生まれた。1920年代初頭、一家はデトロイトへ移住し、多民族が共存するノースエンド地区に住み着く。

しかしルーは8歳で両親を失い、姉クレアが家族を養う役目を担った。

幼少期から音楽に強い関心を抱いていたルーは、サックスの腕前を認められ、ウェイン州立大学のバンドスタンド奨学金を獲得する。ユダヤ人家庭の支援も受けたが、人種差別的な襲撃事件(近隣宅に十字架が焼き打ちされる事件)がきっかけで責任を感じ、大学を中退。家の塗装業に就いた。

やがて事業は成功し、兄弟のロバートとフレッドと共に Beatty Brothers Construction を設立。黒人バプテスト教会の改装工事を手がけたことで、アレサ・フランクリンの父として知られるC.L.フランクリン牧師と知り合い、劇場を教会へ改装する大規模工事も担当した。

その後、カトリック教会関連の建設業務も請け負うようになり、ビーティ家は安定した生活基盤を築く。

実業家から音楽家支援へ

ルーは不動産にも投資し、ダンスホール、ホテル、食料品店、酒屋、アパートなどを含む一角を所有する実業家となった。

しかし心のどこかに「自分は音楽家としての道を逃した」という思いが残っていた。

そこで彼は若いシンガーやミュージシャンにチャンスを与えるため、4部屋のアパートを改装して録音スタジオを設置。

これが La Beat Records の始まり である。

ジェームズ・ヘンドリックスとの提携

1965年、ナッシュビル出身のプロデューサー、ジェームズ・ヘンドリックスと提携。

彼はすでに数組のデトロイト・アーティストを手がけており、後のミッチ・ライダーもプロデュースしていた人物だった。

両者は Carrie レーベルから数枚のシングルを制作。しかしヘンドリックスはやがてデトロイトの音楽業界に幻滅し、ナッシュビルへ戻る。

La Beat の拡大

その後ビーティはMary Jane、Cool Scoll、Ramblerというサブレーベルを設立。

ジャズ・ピアニストの テッド・ハリス がスタジオの中核スタッフとなり、エンジニア、事務、出版業務まで幅広く担当。

さらに作家/プロデューサー フレッド・ブリッジス を紹介し、La Beat サウンドの核が形成されていく。

ビーティ自身も作曲を行い、家族愛や人生観をテーマにした楽曲を多数制作。

特に「A Family」は彼の代表曲で、演奏中に感極まって涙を流すこともあったという。

未発表デモでは、彼自身がサックスを吹いている。

地元での活動と苦闘

La Beat は全国ヒットには恵まれなかったものの、

極めて質の高いデトロイト・ソウルを多数録音。

アル・ウィリアムス、クリフォード・ビンズ、マスカレーダーズ、エドワード・ハミルトンらの作品は地元ラジオで人気を博した。

その勢いに、モータウンのベリー・ゴーディが

「この街は俺たち二人には狭すぎる」

とビーティに言ったという逸話も残る。

しかし1971年頃には衰退し、1972年スタジオ閉鎖。

英国ノーザン・ソウルでの再評価

ところが海を越えたイギリスで、思わぬ再評価が起こる。

モータウン音源を掘り尽くしたノーザン・ソウルDJたちが、よりマイナーな米国インディ盤を探し始め、

La Beat のシングルが“聖杯”扱いされるようになったのだ。

エドワード・ハミルトンやアル・ウィリアムスらの45回転盤は高値で取引され、

後に Grapevine レーベルから正式再発も行われた。

ルー・ビーティの最期

ルーは72歳で引退し、2001年3月7日、糖尿病に伴う腎不全で死去。

だが彼が築いた音楽的遺産は、今もなお世界中のソウル・ファンに愛され続けている。

アーティスト/関係者

(ここからは各人物の経歴をすべて完訳)

LPTs(La Beat Production Team)

レーベル専属のハウス・バンド兼バック隊。ツアーやクラブでも活動し、Mary Jane からシングルも発表。

ジョン・グローヴァー(キーボード/ベース、後にモータウンやCBSで活躍)

ビリー・スミス(ギター/ベース)

ジェローム・トーマス(サックス)

マイケル・カルフーン(ドラム/パーカッション)

フレッド・ブリッジス(ピアノ/プロデュース)

カーティス・トゥルーセル(ギター)

ジョニー・ミルズ(ドラム)

エドワード・ハミルトン

アラバマ生まれ、デトロイト育ち。

Arabians として活動後、La Beat の看板シンガーに。

「Call Me」「I’m Gonna Love You」「Baby Don’t You Weep」などノーザン・ソウル古典を多数残す。

後年は自動車産業に勤務し、家族と穏やかな生活を送る。

アル・ウィリアムス

南部から移住。力強くほろ苦い歌声の持ち主。

「I Am Nothing」「Brand New Love」を録音。

未発表曲も後年発掘され、再評価された。

マスカレーダーズ

テキサス出身の男性コーラス・グループ。

La Beat 期は不遇だったが、その後 Bell からヒットを出し長寿グループとして活動を継続。

レスター・ティプトン

陽気な性格とダンスの名手。

唯一のシングルがノーザン・ソウルで人気盤に。

1982年、不幸にも強盗により殺害される。

ネルソン・サンダース

アラバマ生まれ。

クラブ歌手として人気を得て La Beat と契約。

昼はフォークリフト運転手、夜は歌手という生活を続けた。

総括

La Beat Records は商業的成功とは無縁だった。

しかし、

才能ある若者に機会を与え、

純度の高いデトロイト・ソウルを数多く生み出し、

そして時代を越えて評価されたレーベルである。

ルー・ビーティの情熱と信念がなければ、これらの音楽は存在しなかった。

La Beat の名は、これからもソウル史の中で静かに、しかし確かに輝き続けるだろう。

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